歴史に見るビジネスストラテジー

上杉鷹山の意識改革

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本稿は東京都中小企業診断士協会城西支部発行「城西87号」に私が寄稿した小論文を掲載したものです。

(1)はじめに

アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディはかつて最も尊敬する日本人を尋ねられ、上杉鷹山の名を挙げた。ケネディの大統領就任演説における「Ask not what your country can do for you, Ask what you can do for your country.(国家があなた方のために何ができるかではなく、あなた方が国家のために何ができるかを問うて欲しい)は、上杉鷹山の伝国の辞、「国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民にはこれ無く候」と、軌を一にするものと言える。

上杉家は上杉謙信以来の名門であったが、2代目の景勝が関ヶ原の合戦で徳川家康に敵対したことから、120万石の所領を30万石に減らし、家運は急落する。以後不運が重なり、鷹山が養子として米沢藩上杉家の第9代藩主として迎えられた当時はわずか15万石の所領になり、全国一の貧乏藩とまで言われていた。米沢藩の借財は、藩の収入を上回り、第8代藩主の重定は幕府に領地を返納することも考えていたという。現代の企業経営に例えるなら、かつて日本を代表する名門大企業が、売上を8分の1にまで減らし、債務超過に転落、民事再生法の適用を申請する状況にまで至ったということである。 

2)鷹山の取り組んだ意識改革

このような状況下で鷹山は藩主となるわけであるが、その心構えとして、領民の父母たる藩主となることを決意する。鷹山の政策は、上杉の伝統と格式に縛られ、改革を忘れた家臣団と、度重なる飢饉や苛税で疲弊した農民に対して、藩一丸となって改革へ取り組むためのモチベーションの向上を図ることからスタートする。もちろん藩士の中には、鷹山の改革を快く思わない守旧派の抵抗勢力も少なからず存在していた。そこで藩士を味方にするひとつの施策として鷹山が採用したのは、藩の収支帳簿を藩士に公開・共有することであった。当時このような情報公開は異例のことであったが、鷹山は藩の財政状況を藩士と共有することで、藩の置かれた状況・問題点も藩士と共有し、共に課題解決に邁進するための理解と協力を得るのである。

また農民には換金作物の栽培を奨励し、出来た作物は藩が買い取った。藩内で原料調達から、工芸品を一貫生産する体制を整え、そのための技術支援も行っている。こうして自らの努力で所得向上できること知った農民はモチベーションを高め、米沢藩は復活を果たし、今日に至るまで、米沢地方の特産品として地元経済を支える基盤となる。 

3)おわりに

マグレガ-は人間の本性を善悪に分け、X理論・Y理論を提唱した。封建社会における藩主と領民の関係は、まさしくX理論に立脚したものであろう。それ故、領民を土地に縛り付け、藩主にひたすら年貢を納めさせるのである。鷹山は、藩主は支配者ではなく、領民のためにあるべきと考え、領民の自己実現を信じ、改革の方向性を示すことで、米沢藩を導く。  鷹山の意識改革は領民以上に藩主に向けられたものであり、企業の経営者に向けられるべきものであったのである。 

【参考文献】

佃律志「上杉鷹山 リーダーの要諦」日経ビジネス人文庫 2016
石塚光政「上杉鷹山の藩経営における倫理観の研究」日本経営倫理学会誌 2004
角屋由美子「上杉鷹山とリスク管理」安全工学51巻4号 2012年

 

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ABOUT ME
早稲田大学政治経済学部卒業。 みずほ情報総研株式会社(現みずほリサーチ&テクノロジーズ株式会社)、政府系金融機関SI企業勤務を経て、2020年アイトクコンサルティング設立。 ITを活用した業務改善、セキュリティ対策、クラウドサービス導入など中堅・中小企業を中心にIT・経営支援に従事。